かなりひさしぶりにブログを更新します。
読んでいただいている方がどれぐらいいるのかわかりませんが、申し訳ありませんでした。
かなり私的なことになりますが、5月の下旬ぐらいから母の体調が思わしくなかったのです。
ぼくの両親は、震災で実家を失ったため、福島県会津若松市に移住しておりました。
姉がいるのです。
高齢での移住というのは、ぼくらが考えているよりもずっとたいへんな事だったのだと思います。
6月の上旬に緊急入院となり、6月24日の夜、他界しました。
思えば苦労の多い人生だったのだろうと思います。
母の生まれた昭和3年は「昭和3年三陸大津波」のあった年。
その後、戦争があり、「チリ地震津波」があり、そして今回の「東日本大震災」です。
どれほどの苦労があったことでしょうか。
そして、その人生の最後が、見知らぬ土地での締めくくり。
生前、まだ会話が出来たころの母の言葉。
「もう一回広田(陸前高田市)の海が見たい。。。」
かなえてやることはできませんでした。
8月7日
今年も陸前高田市では「七夕まつり」が行われました。
この行事は、たんなる夏祭りではなく、初盆の鎮魂行事です。
もちろん、ぼくは仕事で行けませんでしたが、震災後、はじめてこの景色を空の上から見ているのかな、と思いました。
いま、母は生まれ故郷の陸前高田市広田町にあるお墓で眠っています。
先日、これも伝統行事の灯籠流しが行われました。
安らかに、ゆっくりと眠って欲しいと思います。
もう、苦労することは何もないのですから。
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